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古墳探訪記
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三ツ城第1号古墳 : 訪問日16Mar'09


この古墳は、山陽本線の西条駅から
ブールバール通りを約2km南下すると、
西側に市立中央図書館が見えてきます。
その図書館の裏手にあります。

市立中央図書館には、
この古墳のガイダンスコーナーがあり、
出土品も展示されています。

しかし、私は、休館日の月曜日に行ったので、
ガイダンスコーナーを見る事はできませんでした。
休館日を良く確認して行けば良かったと後悔です。
機会を見つけて、また行ってみます。





以下は、三ツ城古墳周辺の地形模型です。
説明には、「古墳は、周囲の平地より高い場所に造られているが、
両側、正面には更に古墳より高い尾根があり、古墳からの眺めが遮られている。
大豪族は、このような奥まった場所を一族の墓所として選んだ。」とあります。
















右は、約50万年前の地形の説明です。

50万年前は、ここは西条湖と呼ばれる大きな湖で、
三ツ城古墳があった場所も湖の底だったようです。
後に、呉の二級峡の堰が切れて、湖の水が流れ出たと
言う事です。

西条盆地の地形は、この西条湖によって形成されました。











下は、昭和23年(1948年)当時の地図です。

今は、この三ツ城古墳周辺は、住宅街となっており、様変わりしてしまっています。
当時は、この周辺には多くの古墳があったようです。
しかし、この辺りに昔から人が住み続けてきた事は、変わらない事と思います。





















ここには、
①前方後円墳の第1号古墳、②円墳の第2号古墳、③楕円形の第3号古墳と、3つの古墳があります。
第一号古墳は、広島県最大の古墳です。
その墳丘は、3段に築かれており、平坦面には埴輪が立ち並べられていました。






















以下は、第一号古墳の平面図です。
古墳の周囲には、周溝がありました。(右図のオレンジ部)

前方後円墳の左右のくびれ部には、祭壇として使用された造出があります。 そして、西側の造出には、造出に渡る為の陸橋と、道がありました。















図書館の駐車場から
古墳を見たところ。

1993年に復元されたものです。
墳丘の斜面は、
葺石でおおわれていました。










古墳を前方部側から見たところ。
古墳背後の山は、八幡山です。














墳丘は、3段に築かれており、
平坦面には、いろいろな種類の埴輪が
並べらられています。

これは、馬形埴輪です。

しかし、心無い人により、
いくつか埴輪が破壊されています。
レプリカとは言え、腹立たしい。




馬型埴輪の説明です。












これも馬形埴輪です。












前方部の北西角から見上げたところ。
















前方部を登り、後円部方向を見たところ。












前方部の説明です。

前方部は、
もともと葬られた人への祭りを行った
場所ですが、
この古墳が造られた頃には、
その役目を造出にゆずり、
古墳を壮大に見せる為のものに
なっていたようです。


前方部には、1号埋葬施設と2号埋葬施設の
蓋石が置いてありました。











衣傘形埴輪です。

古墳時代の日傘がモデルです。
スカート様の物が傘で、
その上は、羽飾りを表しています。












後円部には、家形埴輪があります。
一方の屋根が、心無い人により壊されています。

埋葬された人は、
こんな家に住んでいたのかもしれません。








後円部上には、3つの埋葬施設がありました。
1号と2号は、左右に並んで、
3号だけ南側にずれています。










一号埋葬施設の説明です。
女性と思われる人骨が
埋葬されていました。



























箱形石棺の幅は30-40cmと、
実物を見ると、意外と小さく感じます。















2号埋葬施設の説明です。

内側の箱形石棺を
石槨が包み込んでおり、
2重の箱形石棺に
なっています。

壮年の男性の人骨が
出ています。

2号埋葬施設は、後円部の
ほぼ中央にあり、
この古墳を造らせた
人物と見られています。



































3号埋葬施設の説明です。





























































後円部上から、前方部の方向を見たところ。












横に張り出している四角い平たん部は、
祭祀を行った東側の造出です。











東の造出から後円部を見上げたところ。
















前方部の北東角から古墳を見上げたところ。












西側の後円部下から古墳を見たところ。

古墳の周囲の道になっているところは、
昔は周溝になっていました。
そして右写真の丸で囲んでいるところに、
周溝を渡る陸橋があり、
西側の造出へ登る道が続いていました。






周溝を渡る陸橋があったあたりから
造出へ登る道を見たところ。















西側の造出から後円部を見上げたところ。
この造出からは、祭り事に使用された須恵器の器台や、
土師器の高杯等が見つかっています。














後円部から西側の造出を見下ろしたところ。
古墳を管理されている人が、
枯れた芝を刈ったり、集めたり清掃中です。











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